本質とは何か?
「システム思考」から考える本質の定義
私は、本質を以下のように定義しています。
あるものを構成する要素を、これ以上減らすと、その「あるもの」ではなくなってしまう最小単位、最小構成のこと あるものは、さまざまな側面を持っているため、「あるもの」の本質は複数存在する
この定義について、説明したいと思います。
※ 是非、音声をお聞きください。文章よりも、ラフに楽しく話しています。人によっては、「すっと」入ってくるかもしれません。
音声はこちら
言葉を探る
言葉の意味を探る最初のステップは「言葉そのもの」に注目することです。言葉は、昔の天才、あるいは知識を持つ人が、あれこれ考えて決定したものです。
特定のイメージ、構造がぴったりくる「漢字」や「用語」をチョイスしています。したがって、「言葉そのものから、ゼロベースで考えてみる」ことで、物事を考える力、とっかかりを作る力が育まれます。
「本」の意味するもの
では、本質について「言葉」から考えてみましょう。
辞書などを調べると、「本」は、木の幹の最も太い部分を指しているとされています。つまり、これです。
このことから「あるものの、最も太い部分」「土台」「中心」というイメージが当てはまると「本」という漢字を割り当てることになります。
とにかく、ポイントは「あるものの最も大事な部分」です。もう、これだけで「本質」の定義のように見えます(笑)。でも、先に書いた通り、私の定義は以下の通りです。
あるものを構成する要素を、これ以上減らすと、その「あるもの」ではなくなってしまう最小単位、最小構成のこと あるものは、さまざまな側面を持っているため、「あるもの」の本質は複数存在する
もう少し、掘り下げてみましょう。 ※ 「本」は、今スポットライトが当たっているものという意味もあります。本件、本文など
「質」の意味するもの
質を辞書で調べてみると、
生まれつき、備わっているもの
中身
価値あるもの
となります。
「生まれつき、備わっているもの」 という定義が面白いですよね。例えば、「靴」を考えてみたとき、生まれつき備わっているものといえば、
人の足をすっぽりと覆い、地面からの衝撃を吸収し、足を守る能力
といえます。
上記の靴の定義をみると、なんだか「本質だ!」と感じますよね。
2つの漢字の意味をつなげてみると?
「本」
最も中心の太い部分
今スポットライトが当たっている部分
「質」
生まれつき、備わっているもの
中身
価値あるもの
生まれつき備わっている価値ある中身で、最も中心となる部分が「本質」だと定義しても、いい定義のように思いますよね?
このように「言葉」を深く探求し、ゼロベースで考えるだけでも、十分に多くを学ぶことができます。そして、自分で考えたことは、記憶に刻まれ、残ります。そして、この考えた結果に作られた脳内ネットワーク、シナプスの結びつきの鎖、網は、新しい物事とつながりやすくなります。
言い換えると、「言葉の定義」をゼロから、あれこれ思案しておけば、他の分野の知識と結びつけたり、応用することができるようになります。
最初の定義に戻ってみよう
あるものを構成する要素を、これ以上減らすと、その「あるもの」ではなくなってしまう最小単位、最小構成のこと あるものは、さまざまな側面を持っているため、「あるもの」の本質は複数存在する
この定義は、どちらかといと「システム思考」に近い考え方によります。
この定義で考えると、本質を捉えるには、
構成要素を考える
減らす
「そのものでなくなっていないか?」をチェック
なくなったら、その直前を本質として定義する
となります。
では、「靴」で考えてみましょう。今回は、あえて「物理的な側面」から考えてみます。
靴を要素分解してみると、
ソール
裏の滑り止め
間のクッション性素材
足うらに触れる部分
上部
足首の周りの布
固定の紐、紐穴
足の甲を覆っているもの
足先のガード部分
などです。
ソールを使って、本質に迫ってみよう
これらから、いろんなものを抜き去ってみます。抜きながら、「まだ、靴って言えるかな?」と考えてみます。あるいは抜き去って、簡易なものへ変えてみるなどしてみます。そして「まだ、靴と言えるだろうか?」と考えます。
例えば、ソールを完全に取り除いたら、おそらく誰も「靴」とは思わないでしょう。ソールのクッション性がなくなっただけなら、まだ大丈夫でしょう。もし、古くなったタイヤを切り取って、それで代用しても「靴」と思ってくれるでしょう。
ここから考えると、いわゆる「地面と足裏の間」のものがなくなってしまえば、靴とはいえなくなると、私たちは考えていることになります。もちろん、世の中には「足裏に何もなくても靴だ!」と思う人はいるかもしれません。そう思うだけのなんらかの経験があるのでしょう。
さて、では、もうちょっと、頑張ってみましょう。
ソールを成り立たせる最小単位は?
ソールは、
地面に対する滑り止め層
クッション層
足裏に直接触れる層
に大きく分けられるかもしれません。この3つを抜いたり、別のもので代用したりして考えてみましょう。
クッション層はなくてもOKと思う人がほとんどでしょう。また、足裏に触れる部分と、地面に触れる部分は、同じ素材でもいい!と思う人もいるでしょう。草鞋などがそうですね。地面に触れる部分も、足裏に触れる部分も同じ素材です。
例えば、ソールを「サランラップ(プラスチックラップ)」にしてみたら、どうでしょう?流石に靴とはいえないな!と思うかもしれません。一方で、ダンボールならどうでしょう?耐久性に難ありで、意見が分かれるかもしれません。
人それぞれ定義が違うと思います(それでOKです)。
私の場合だと、段ボールでも「靴」と認めようと思うところがあります。このことから、最小単位としては、
「ソールは、地面からの衝撃を多少和らげることができる、緩衝力を有する足裏の保護ができるもの」
となります。
同様に「上部」でもやってみる
靴の上部でも、やってみましょう。
踵の後ろを覆うものを外してしまうと・・・ぞうり?
つま先をなくしたら・・・ぞうり?
つま先、踵の後ろは残して、上を可能な限り外したら・・・靴?
などなど。
もちろん、答えは、人それぞれでしょう。
プロセスが大切
ここまでで気づくと思いますが「本質」の定義よりも、「本質を定義するプロセス(途中経過)」に、たくさんの気づきがあります。
本質を定義するために、観察対象を分解したり、入れ替えて再構成し全体性をチェックするなどの試行錯誤が起こります。思考の試行錯誤(これを思考実験といいます)によって、
「今まで気にも止めなかった靴が、違うものに見えてくる」
「たくさんの気づきが得られる」
と思います。
最終的な定義よりも、プロセスにも注意を払っていくことが、学びになります。
※ 学校教育などでは、このようなプロセスを支援する教育を推し進めてほしいものです。多くの教育者が求める「自分で考える」という力がつくはずです
「遊び」で考えることが大切
ところで、ここまで読んで「だからな何?」って思う人もいるでしょう。しかし、このようなどうでも良さそうなことで、日常に触れているもので「考える」あるいは「本質を考える遊び」をすることが大切です。
哲学とは、多くの人が「当たり前」で気にも止めていないことについて、考え始めることから生まれます。哲学の継承者である科学も同じです。
ということで、是非、ソールついてもあれこれ考えてみてください。
さらに、一人で考えるだけでなく、他の人と「たわいもなく議論してみる」ことも大切です。一人だと辛くても、他の人となら楽しい遊びになります。
まさか「靴の本質の定義」で、取っ組み合いの喧嘩をしたり、己の正義で戦うことはないでしょうから(笑)。
まだ終わりではありません
最後まで、お付き合いくださり、ありがとうございます。
でも、まだ終わりではありません。
(1) あるものを構成する要素を、これ以上減らすと、その「あるもの」ではなくなってしまう最小単位、最小構成のこと (2) あるものは、さまざまな側面を持っているため、「あるもの」の本質は複数存在する
ここまでは「1」を指しています。「1」は人によって、構成要素の細かい部分が違ってくるでしょう。その差異によって「複数の本質の定義」が生まれます。しかし、これは「些細な違い」です。
それよりも、もっとドラスティックに「複数」の本質が存在します。
(2)には「視点」と呼ぶものが関わってきます。視点の違いによって、「あるもの(例えば靴)」から、複数の本質が発生します。
これについては、次回のメルマガでお伝えします。
お楽しみに!
※ 是非、音声をお聞きください。文章よりも、ラフに楽しく話しています。人によっては、「すっと」入ってくるかもしれません。音声はこちら